top of page

感染症の歴史Vol.1 ~アテネの疫病~

k-yuko1

更新日:2月23日

記事内に広告が含まれています。



有史以前の感染症


はるか昔、人類は狩猟生活が中心であり、野生動物との接触や野生動物を食べることによってうつる細菌やウイルスが、人々の命を奪うことがありました。


その後、人類の中で農耕を始め定住する集団が現れます。


彼らは豚や鶏、犬などの家畜を育て、農作物を貯蔵するようになりましたが、それによってネズミなどの衛生害獣や家畜に寄生するノミ、ダニ、シラミなどが生活圏に現れ、病原体の温床となりました。


さらに集団での定住生活が始まったことにより、人々は家畜からヒトへ、ヒトからヒトへとうつる感染病を経験するようになりました。


また、集落が水辺につくられたことから、水を介した感染症も流行します。


水辺に繁殖する蚊が媒介する「マラリア」は、農耕の開始と同時期に流行が始まったとも言われています。


 

有史以来最初の疫病


人類が経験した有史以来最初の大きな疫病は「アテネの疫病」だと言われます。


紀元前430年頃、古代ギリシャにおいて2大都市国家だったアテネスパルタ「ペロポネソス戦争」に突入しました。


海軍主体だったアテネは強力な重装歩兵を擁するスパルタ軍に対抗するため、指導者ペリクレスの指示のもと、侵攻されたアッティカ半島の住民をアテネの城壁内へ避難させたうえで籠城し、守りを固める作戦をとりました。


しかし、この作戦が仇となります。


当時、国際的な港町だったピレウスで発生した謎の病気が都市部へと拡大し、地方から人口が流入したことで人口過密となり衛生状態が悪化したアテネで感染爆発がおきてしまいます。


この疫病は収束するまで5年程度かかり、アテネの人口の約25~35%が死亡したと推定され、指導者であるペリクレスも疫病にかかり亡くなりました。


このように感染症が最初に急増したコミュニティ(今回の場合はピレウス)よりも広い地域(今回の場合はアテネ)に拡大した状態を「エピデミック」といいます。


 

エピデミック発生による現象


アテネの疫病というエピデミック発生により、次のような現象が起きたそうです。


  1. デマの拡散

    スパルタ人が井戸や貯水池に毒を入れた、などという根拠のない噂が広まった

  2. 医療崩壊

    患者から医師や看病人へと感染したため、医師たちは早い段階で病に倒れた

  3. 更なる衛生状態の悪化

    患者は1人取り残されたまま街路や水場で絶命し、積み上げられた遺体が市内の衛生状態をさらに悪化させた

  4. モラルの崩壊

    犠牲者が多すぎて葬儀を執り行うこともできず、他人の火葬に自分の身内の遺体を投げ入れたり、貧しい市民が裕福な死人の財産を横取りするなど、市民のモラルが崩壊した


 

原因は不明、しかし自然に収束


当時の歴史家トゥキディデスが残した書物において、アテネの疫病のことを「ペスト」と記述しているため腺ペストとの説がありますが、書き記した症状はエボラ熱とも一致するなど、原因は諸説ありますが謎のままです。


当時の古代ギリシャでは誰も知らなかった病気に襲われたということは間違いないでしょう。


しかし、ワクチンや抗生物質がなく病原体に対する対抗手段が皆無だった古代ギリシャにおいても、疫病は自然と収束しました。


この歴史から、現代に生きる私たちが未知の感染症に襲われたとしても、必ず克服できるという希望を感じずにはいられません。


←前の記事へ               次の記事へ→



Comments


bottom of page